W i l l   B e   K i n g
 
『HEAVY GAUGE』の中で、1番好きな歌です。

初めて聴いたのは、99年秋、幕張で行われたBay-fmの1DAYスペシャルの会場内。
入場した時にBGMとして流れていたのが、このメロディーでした。

何かね、とっても懐かしい感じがしたんだよね。
「ああ、これがGLAYの曲だったらいいなー」としみじみしたのを、やけに憶えてます。
その時は、GLAYさんの新曲だとは、全く思いませんでした、何故か(笑)。

で、次に聴くのが、「FUN」。
バッグに、RECでは言う事聞かなかったコーラス隊を引き連れて。

初めて知る、あの歌詞。
そして、初めてまともに聴いた、歌。

あの歌い方。

とにかくもう、ただただ凄かったんですよ。
「ヤバイ、受け止めきれない」と、恐怖すら感じてしまったテルさんの歌。

怒りとか。
もどかしさとか。
そういう"負"のパワーがドカーンときた。

丁度、クレアシオンを引き取りに行った日でして。
あのタクロウさんのインタビューと、『Will Be King』の言葉達がモロにシンクロしてて。
あまりの痛さにダーダー号泣しながら観てたのを、今でもはっきりと思い出すのでした。
…ダーダー号泣しながら観るのもイタイな…(´ー`)。

ホルンのCM曲にもなってたよね。
てっこさんがホルンをパッケージごとぶん投げてたよね。
あの金色と黒をメインにした色彩が、本当によく似合ってた。

2000年。
汗と涙と感動の(枕詞)「HEAVY GAUGE TOUR」。

総本数100本を数えた、GLAY史上最長ツアー。
スタートからファイナルまで、変更される事なく本編のラストで歌われ続けたラストナンバーが、『Will Be King』でした。

2年前にも、この曲について書きました。
感じている事は、昔も今も大体は変わっていないのですが、時が経つごとに明かされる事実もあったりで。
そこら辺を拾いながら、またまた性懲りもなく進めてゆこうと思います。

お別れの歌。
永訣の歌だと思います。
『ひとひらの自由』もそうだけど、「喪失」がテーマ。

書いた人と、歌う人。
対象は微妙に違えども、「別れ」にベクトルが向いた歌。

しかし、これを100回ライブで歌ったんだもんなぁ。
煮詰まりますって、100人中100人、必ずどっかで煮詰まりますって。

「喪失」の前の、通過点。
「別れ」。

『Will Be King』。
タクロウさんは、「GLAY」にお別れする気持ちで書いたんじゃないかと。
で、この時、実際お別れしたんじゃないかと、思います。

「GLAY」っていうものに。
幼い頃からの夢を全部乗せて、全部叶えてくれたものに。
叶えてくれた代償として、色んなものを奪っていったものに。

この詞を書いてた時期に、かの有名な言葉を残してます。

「GLAYは、死んだ」

ドキュメント本の見出しにもなった言葉。
田家さんが、思わずタクロウさんを抱き締めたいと思ったほどに憔悴しきった表情で。

「幕張のライブが終わりを迎えた時、GLAYも終わりを迎えたんだ」と。
「死んだ」っていうか、「次にやるべき事が見えなくなった」んだと思うんだけど。
とにかく、GLAYの歴史の中で、最大のピンチだった事は確か。

「終わろう」と決めて、この歌詞を書いたように感じる。
その対象はGLAYじゃないかもしれないけど、この時期の一連の流れで「GLAYかも」と、私は思いました。
『生きがい』も、『サヴィルロウ』も含めて。

結局、無理だったんだけどね。
終わらせる事なんか出来なかったんだけど。

「満ち足りてゆく事のない人の世は、命朽ち果ててゆくまでの喜劇そのものだろう」

どんなに、どんなに幸せを手に入れようとしても、決して満ち足りる事はない。
命を終えるまで、死を迎えるまで、人生の悲劇を揶揄する喜劇にも似た、人のはかない生は続いてゆく。

「夢」は「終わった」のに、まだ自分は生きている。
矛盾と絶望が永遠に消えない深さでタクロウさんの心に刻みついたのが、1999年。

「疲れ果てた僕は今、死にゆく日を思いなお、あなたの心癒そうと今日も叫ぶ」

絶望の底の底から、「命朽ち果てるまでやってやるんだ」っていう意思が生まれたのが、『生きがい』なら。
「美しい人生で終わろう」と、絶望の底の底で悲嘆に暮れてる状態で生まれたのが、『Will Be King』かもしれない。
曲順がね、詞がね、そう思わせるんだよね。

絶望の底を這いずり回っていた一人の男が、渾身の力で立ち上がってゆく様。
『Will Be King』→『生きがい』→『サヴィルロウ』という流れで、その様が伝わってくるです。

まず、タイトルですよ。
直訳すると、『王になるんだ』…かな?(自信無し)

王様になって、どうしたかったんだろう。
王様になる野望を打ち立てた奴も、結局はひとりのちっぽけな人間なんだ。英雄も。
…から転じて、「何もかもを手に入れたように見えるだろうけど、それと同じだけ失ったものもあるんだ」…うーん。

こっちか。
ただただ、純粋に「力」が欲しかった。
「力」っていっても、「権力」じゃなくて、純粋な想い。
純粋な気持ちを守れる力を、忘れない力を、失わない力を、何よりも欲してたのかもね。

 

Days of the roses Days of the roses
   In the heart In the heart

 

バラ色の日々は、この胸の中に。
人生の中で最良だった日々は、今もこの胸にしまってあるよ。

『出逢ってしまった2人』についてのインタビューを思い出した。



琢:「トム・ウェイツの曲に「マーサ」って曲があって、その内容ってのが、かつての恋人マーサに電話をかけるんですね。
   それが20年ぶり(ホントは40年ぶり)の電話でね。旦那は優しくしてくれているかとか、子供達はおまえに似てかわいいかとか。
   恋人同士だった時は自分にとってバラ色の人生だったよって歌があって」



トム・ウェイツの「マーサ」。

 

あの頃はバラ色の日々だった まるで一編の詩のように
    マーサ 君は僕のすべてだったし 僕が君のすべてだった

 

これ…だと思うんですよ。
『出逢ってしまった2人』の時は、「ニュアンスとして捉えてくれれば」と言ってたけど。
今回は、ニュアンスどころじゃなくて、そのままだと思う。

時が経って。
二度と戻らない幸せだった日々を思い返しているような。

 

いつも2人で 分け合えたものは 安らぎに満ちていて
   まぶしいくらい 輝いていたな believin' you

 

ひとつを、ふたりで分け合って。
どんなときも、ふたりが共にいた日々。

いつも、言いようのない安らぎに満ち溢れていて。
あなたとの日々は、まぶしいくらいに輝いてた。

あなたを、信じていたよ。
ずっと一緒にいられると思っていた。

過去形だから、回想。
前半の歌詞は、"その日"から数年後、
穏やかに回想してるような感じ。

 

あの空の上 天使にも似た 命のキラメキを憶えてる
   この場所に立つ 同じ時代の あなたの事を誇りに思う

 

幕張の、あの青空を思い出します。
どんなに時が経とうとも、青空は変わらずに、変わってしまった私達の上に在るのだなぁと。

思い出となった空は、いつも心の中でどこまでも広がっている。

天使のような、命のきらめき。
そして、時空はさかのぼり、"あの場所"へと導かれる。

ここの部分を聴くと。
いつでも、"あの空"に還れるんだな。

"この場所"。
あなたといた場所。
同じ時代を生きたという、証。

同じ時代を生きた、あなたの事を誇りに思う。
"誇りに思う"って、最上級の愛の言葉だなと思うのです。
対等の立場で、同じ目線で。"あなたを愛している"以上の密度で。

揺るぎ無い絆で結ばれてるからこそ、伝えられる言葉がある。

 

いつも2人が 綴ってたものは ただの愛ではないと
   悲しみさえも 抱き上げる様に believin' you

 

『HEAVY GAUGE』のアルバムの中で、1番胸を打たれた箇所です。

いつも2人で綴っていたもの。
重ねていったもの…それこそ、言葉を綴っていくように。

それは"ただの愛"だけではなく。

優しさだけの愛じゃなくて。
温かいだけの愛でもなく。

いつも、2人で綴るように育んできた愛は。

悲しみさえ、抱き上げるような。
痛みも、苦しみも、すべてを、この手で抱き上げるように。
…そんな、愛だった。

相手をどこまでも信じていなければ、決して出来ない愛し方。

「悲しみを抱き上げる」って表現。
(さすがのタクロウさんだな)と、ひれ伏す気持ちです。

前半は、回想部分なんだろう。
数十年後に、"あの日"を思い出して、懐かしさに浸っているみたいな。




後半は、まさに"今"、未来ではなく、現在を歌ってる。
現在っつうのは、『Will Be King』を書いた当時です。

"終わる"事を、漠然と感じながら。



琢:「なんかね、ちょっと頭をよぎったことは、こういう少年時代みたいなGLAYは、今日で終わるんだなっていうのはちょっと感じたかな。
   その仲のいい4人組っていうところから、いよいよ飛び出さなくちゃいけない時期に来たなって」

琢:「だからまぁ、ファンの子たちも次は何やってくれるんでしょうか?どこへいくんでしょうか?何をやるんでしょうか?っていうね。
   『これで終わりじゃだめですかね?』って返事を書いているのかもしれない。その辺の混乱具合は未だに分からないけど」

 

そこには何もないと 始めからわかっていたはずさ oh sympathy
   そこから何かを始めよう まだ見ぬ世界へと助走をつけて飛べばいい

 

シンパシーは、同調、共鳴。

"そこ"って、何処。
求めてやまなかった場所。
どうしても辿り着きたかった場所。

「到着」は、「終結」と同じ意味なんだろうか。



荘:「こないだタクロウ君と話したんだけど、一回解散するかもしれないっていう時期もあったと。幕張が終わってしばらくしての頃だったんですよね?」
琢:「うん、99年の10月ぐらいから12月頃」
荘:「各々そう思ってたの?テルくん思ってた?」
照:「…張本人は俺だったんだけどね(笑)」
荘:「ソロでもやりたいって気持ちがあったの?」
照:「いや、それはない!もし解散しても、この4人なら別の世界でもまた頑張っていけると思ったから」

 

テルさんの口から初めて語られた、"あの頃"の話。
"解散"って言葉がちらついていた頃。

辿り着きたかった場所には何もないと、始めから分かってた。
同じ事を、思っていた。

遠いあの日、僕らが始めたように。
今、立っているこの場所から、また何かを始めよう。
まだ見た事のない世界へ、助走をつけて飛べばいいんだ。



琢:「
幕張は山でいう3合目でしたなんてしらじらしく言えないっていうか。
  “通過点です”って言えない。あんなもんゴールに決まってるだろうって、全員に言いたい気持ちがないわけじゃないし。
  あれを通過点だなんて、誰が言えるかこの野郎っていうのはあるし。

  新しいGLAYに生まれ変わる必要があると思う。
  自分の中では、今までのGLAYは終わりだなってものが確固としてありますよ。
  GLAYは終わったもん。ただし、このメンツでなんかやりたいから。

  “何を”やりたいっていうんじゃない。
  
“何か”はやりたいから、生まれ変わる必要がある」

 

もう一度、始めよう ―― ………。
どういう形になるのかは、まだ分からないけど。
もう一度、もう一度、まだ見た事のない世界を見に行こう。
この足で、歩き出そう。

"終わり"から、"始まり"へと。

 

時を急ぎすぎた 2人の代償を・・・

 

置いていってしまったもの。
失くしてしまったもの。
前を見て、生き急ごうとすればするほど。

琢:「すべてを持って次へ行くなんて、ムシが良過ぎる話でさ」

「"生き急ぐ事で分かり合える"と、英雄達はそう呟いた」

『軌跡の果て』から。
何を分かり合えるというのだろう。

2人の代償。
自分だけの代償じゃない。
代償すら、いつものように分け合う。

 

今ある出来事は 何もかも 望んでいたはずさ oh sympathy
   それでも2人が 別々の暮らしを選ぶ事 別の生き方選ぶ事

 

深過ぎて読めない。
照:「もし解散しても、この4人なら別の世界でもまた頑張っていけると思ったから」
この時、GLAYは本当に「お別れ」の方向で進んでいってたのかもしれない。

夢。
夢を叶えようと、ずっと頑張ってきて。
やっとの思いで手に入れた、出来事の数々。
何もかもを、望んでいたのに。互いに共鳴しながら。

先を見る事で進んでこられたのなら。
先の見えなくなった今、もうこれ以上は進めないと絶望したんだろうか。

 

俺がここで 全て壊せたら
   生きていく上で もしもはないとしても!

 

全てを、今、ここで壊して。
なにもかもを、叩き壊す事ができたなら。

思い出も。
今までの道のりも。
今ある、なにもかもを。

…自分の心さえも、ひと思いに壊せたなら。

ひとつの真実。
「生きていく上で、もしもはない」って、よく聞く言葉で。
だからこそ後悔のないように、「選択を間違えた」と嘆かないようにという、戒めの言葉だと思うんだけれども。

「もしも、あの時こうだったら、こうはならなかったかもそれない」とか。
「もしも、あの時こうしていたら、きっとこんな悲しい思いはしなかったはずだ」とか。

よく思うんですけど。
振り返っても、何も変わらないし。
過去は変わらないんだって事を、私達は経験上知っていて。
諦めるように後悔するのをやめて、やがては現実を受け入れる。

壊せなかった。

壊したかったのか、壊したくなかったのか。
タクロウさんのすっごい混乱ぶりが、痛いほど伝わってくるよ。

何を壊したかったのかは分からないけど。
全部だっつうんだから、それこそ「全部」なんだろうけど。
繋がりを何よりも大切にしようとするタクロウさんが、「全部壊す!」と。
当時のカラッポ&混乱ぶりが、突き刺さるように聴こえてくる。

 

遠くまで

超えるまで

勝てるまで

届くまで

 

テルさんの圧倒的な叫び。

歌じゃないだろ。
腹の底からの絶叫。

歌詞カードに載ってない単語。
載ってない部分は、たぶんまだ未発表です。
カラオケも機種ごとに歌詞違ってるしね。

分からなくていいんだと思う。
本人達が知ってさえいれば、それでいいんだ。

Lasting day...

…と歌ってる気がする。
これからも、日々は止まらずに続いていく。

続いていく日々。
繰り返す日々。

99年初秋、アルバム『HEAVY GAUGE』完成。
タクロウさんのカラッポ状態&心が死にかけ状態は、とりあえず沈静化しました。

が、後を追うように、次はテルさん。
もしかしたら、テルさんも「終わり」を見据えながら歌ってたのかも。
これがいわゆるsympathyってやつでしょうか。

私に当時のB=PASSてっこさんソロインタビューを読ませてはいけません。
途端にワアワア泣きます。声を上げて泣きます(完璧虎馬)。

照:「『HEAVY GAUGE TOUR』が終わったら…」

終わりを見据える事で、バランスを取っていた当時の不安定なテルさん。
タクロウさんの説得であわやの危機を脱したけど、「もしも…」と思うとゾッとする。

「もしも」はないんだけどね。
望むにも望まざるにも関わらず、日々だけは過ぎてゆく。

照:「腹が決まったから。『このバンドでずっとやっていきたい』って」

この瞬間、テルさんにとっての『Will Be King』は、意味を変えたのだと思う。

『HEAVY GAUGE TOUR』。
『Will Be King』は、ずっと、ずっと歌われ続けました。

本編ラスト。
巨大スクリーンには太陽がいつまでも映されていた。

太陽を背負って、テルさんは歌ってた。
連れ去られる事は、なかったよ。

綺麗な夕日でした。
太陽が沈んで、また昇って。
その繰り返しで、日々は過ぎてゆく。

タクロウさんは、ツアーの頃には作った時とは全く違う気持ちになってたかと。
けど、やっぱりステージ上でいつも葛藤しているように見えてたよ。

ラストは、テルさんとタクロウさんの歌のみに。

 

Any days in the life
   I'm singing in the rain
     lonely...

 

コーラスは、こんな感じかなぁ。
ほんと、英語ダメですみません(汗)。

タクロウさんが、声を張り上げて歌ってた。
テルさんの叫びと絡み合うようで、すごく胸を締め付けられるような気持ちに。

ドームツアーでの『ひとひらの自由』ラスト。
『Will Be King』のラストにそっくりで、デジャヴ感がもの凄かったです。

「これが、今のGLAYなんだ」と。
まざまざと見せ付けられ、思い知らされたような。

もっと遠くへ。
あの夢を超えて。
なにもかもに打ち勝つまで。
自分の中にあるすべての気持ちが、すべてに届くまで。

彼らは、やめない。
決して、終わらない。

20030509